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ネット情報

マスメディアが暴力・権力・経済力などによって「伝えない」事を①で書きました。その元となる本の最後にほんの少しだけネットが情報発信源となるか?と書かれています。結論は「否」なのですが、普段自分が感じていたことを取り上げたいと思います。
私は、ネット情報の限界について3つの事があげられると考えています。
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1.情報交換の閉鎖性
一時、アイス・バケツ・チャレンジがYouTubeを賑わせました。ALSという難病の寄付の増加と病気の認知度を上げるため、バケツで氷水を被るというものです。
ネット上でこの事について意見がある者について研究した大学がありました。そして、この行為に好意的なグループと、売名など否定的なグループに分けます。其々のグループがどの様に情報を共有するかを観察したところ、自分たちのグループだけで、反対意見に対して情報を興味を示さないことがわかったそうです。
ALSの患者から感謝のコメントが発せられ時も、肯定的なグループでは、イイネやシェアがされるのですが、否定的なグループでは一切ありませんでした。
ネット上では膨大で様々な情報が溢れていますが、自分に都合の良い情報しか見に(取りに)行かない傾向があります。
そこに真実があるかは疑問です。
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2.デマ情報の氾濫
タブーの正体の作者は、噂の真相の元編集者で様々な情報に触れるのですが、メディアで封印された情報が結構ネット上に出ているのを目にしたようです。しかし、新聞がスクープした時の様に社会に認識を変えさせることは出来ない。何故でしょう?
以前、ラジオ番組でMCが不適切発言をしたとして、無期限謹慎という騒動がありました。ある芸能プロダクションが怒って支配下団体に抗議させたとの話がありますが、ネットでは宗教団体など別の理由が取りざたされ、真実が埋没していったとあります。抗議される前に自主的に謹慎したのが真実と解説する芸能関係者もいます。当事者周辺の意図的な情報操作もあり、知ったかぶりのオタクの戯言が真実として独り歩きしている場合もあるでしょう。
福島原発について情報を流しているサイトがあり、結構な読者がいるようです。そこが福島のアニマルレスキューとして汚れた猫の写真をあげました。何十件とイイネやシェアがされた頃、その写真が福島の事故以前の海外の写真ということが分かりました。好印象だった分、批判的な意見も出てきます。サイト側は、「情報を紹介しているだけ。真偽はネタ元に」と言いますが、日頃こういった情報を元に原子力政策に対し、もっともらしいことを書いてるわけですからね。穏やかな批判から激しい批判が続くと、原発推進者の陰謀と批判コメントを消しまくっていました。激しい批判は、そうかもしれませんが、穏やかな注意はむしろ原発反対派の意見だと私は感じてました。そして、ある一言が発せられます。「どこの写真だって、実際福島もこうなんだから、良いじゃんか」。この瞬間、それまでに出されていた、放射線量のデータとか、医療データとかが色あせてしまいました。公園で放射線量を測ったら高かった。でも、その映像が無い。では、別の線量が高い様子の映像を、その公園という事にして出せばよい。
客観的事実、個人的見解と嘘の中から正しい情報を選ばねばなりません。

3.ネット企業の経済性
日本のメディアはしょうもないケド、それでもジャーナリスト精神は残っている。巨悪が隠ぺいしようとする悪をさらけ出したいと思う者もいるし、戦場に命をかけて出かけるものもいる。そういった取材に金を出すシステムもある。しかし、ネット企業にはない。もし広告費が欲しいなら、内容に関係なくアクセス数の多い情報を露出させるだろうし、あるネット系ニュースサイトでは、取材の結果情報が得られなかったら、その経費は払わないという。
地上波のテレビ番組が、視聴率によってバラエティだのラーメンだのの放送時間が長くなる以上の経済優先世界。ある薬に害があったとして、一銭の特にならんなら、情報として取り上げる必要はない。みたいな。

この文章もそうであるし、ネットでは個人が情報発信である以上、うそ、誇張、偏向は避けられませんね。